
こんにちは!miyoRiです。
突然ですが、皆さんは「挑戦」と「不安」、この2つの言葉を聞いて何をイメージしますか?
「挑戦」と「不安」は相反する言葉というイメージがあるかもしれません。
例えば、何か新しい物事に挑戦しようとする時、「失敗したらどうしよう」「うまくいかなかったらどうしよう」など不安を抱いてしまったことはありませんか?
そして、その不安がどんどん大きくなり、やろうとしていたことに挑戦できなかったこと、すなわち諦めてしまったことはありませんか?
私は、自分の人生の中で思い返す限り、挑戦することを諦めたことはありません。
しかし、それは私の挑戦に「不安がなかった」からではありません。
むしろ、人並みに、いや人一倍不安な気持ちを抱えながら、物事に挑戦してきたと思っています。
今回は、私がどのように「不安」をコントロールし、「挑戦」しているのか、そのことについて記事を書きたいと思います。
この記事が、少しでも皆さんの力になることができたら嬉しいです。
なぜ私たちは「不安」になってしまうのか?
そもそも、なぜ私たちは「不安」になるのでしょうか?
その一つの解釈として、こちらの書籍を紹介させてください。
アンデシュ・ハンセンさん著の「ストレス脳」という書籍です。
著者によると、私たちの脳は狩りや採集をしていた1〜2万年前から大きく変わってないとのことです。
私たち人間は、種を「生存」「存続」させることが重要であると脳にインプットされています。
そのため、身に危険が迫った時、脳は「不安」という感情を作り出し、その行動を回避しようと働きかけます。
生物にとって「死」=「種を存続できないこと」に繋がるからです。
つまり、私たちは「不安」という感情を抱くことで自分の身を守ろうとしているのです。
そのように考えると、数万年前から種を存続させてきた人間、すなわち現代の私たちが「不安」を抱くことはごく自然の成り行きとなります。
(祖先が心配性でないと、種を存続できないからです)
そして、「新たな物事に挑戦すること」=「生物にとって危険」であるため、私たちは「挑戦」するときに「不安」を抱くこととなります。
「不安」になった時私が考えていること
さて、私たち人間が「不安」を抱く理由がわかったのではないかと思います。
ここからは、私がどのように「不安」に向き合っているのかお伝えしたいと思います。
【1】“「ダメだった」とは「挑戦」してから言うこと”
これは、私が不安に押しつぶされそうになった時に思い出す言葉です。
「不安」は未来に対して起こるものであり、そしてその未来は「挑戦」することでしか見ることはできません。
まずは、「やってみること」。小さな一歩を踏み出すことが大切だなと私は考えています。
怖いから、不安だから「逃げる」のではなく、まずは「やってみること」。
やってみたら「思っていたほど大変じゃなかったな」と思えるかもしれません。
ですが、反対に「やっぱり大変だった」と思うかもしれません。
しかし、それでいいのです。
どちらの結果だったにせよ、「挑戦したこと」が素晴らしいことであり、挑戦した結果「やっぱりダメだった」と言うのは「負け」でも「逃げ」でもなく、ただの「事実」や「感想」です。
「ダメだった」と言っていいのは「挑戦した人」だと私は思っています。
【2】“ムリだっていうのはいつだってチャレンジしていないやつ”
これは、バスケットボール漫画の「スラムダンク」の著者、井上雄彦さんの言葉です。
スラムダンク最終巻のその後を描いた、黒板アートの一種となっています。
私はこの言葉が大好きです。
皆さんは、自分が何か新しい物事に「挑戦」しようとした時、「危ないからやめておいた方がいいんじゃない?」などと言ってくる人に出会った事はありますか?
私はあります。
その度に、「やっぱり自分には無理なのかな…」と思ってしまったことが何回もあります。
しかし、この言葉に出会い救われました。
無理だと言ってくる人は、言わせておけばいいのです。
その人は、あなたの人生や決断に責任を持ってはくれません。
自分が「挑戦したい」と思うのであれば、その気持ちを信じて突き進めば良いと思います。
【3】“無理かどうかは、自分で決めればいい”
これは、占い師のゲッターズ飯田さんの言葉です。
私はゲッターズ飯田さんの公式LINEを友達追加しているのですが(友人にオススメされました)、そちらの文章から引用させていただきました。
全文はこちらになります。
無理かどうかは、自分で決めればいい。
他人がどう言おうが、占いがどう出ようが、自分が経験しないと、やってみないと、わからないことが多い。
率直に、その通りだなと思いました。
【2】の内容と被ってしまいますが、何か物事に「挑戦」する時、「あなたには無理だよ」などと言ってくる人はいませんか?
それは、その人たちが悪者だからではなく、その人なりにあなたのことを気遣ってくれようとしているのかもしれません。
ですが、挑戦するのは彼らではなく、あなたです。
あなたの挑戦や夢を否定する人がいたとしても、それはその人たちの価値観であって、決してあなたが「できない」からではないと思います。
「無理」と言っていいのは、挑戦した自分だけです。
挑戦した結果、自分には「無理」だと判断したのなら、それは失敗ではないと思います。
まとめ
いかがだったでしょうか?
正直、私はこの記事を書きながら、「もっと楽観的に生きられればな〜」とか「何で自分は起こってもないことを想像し、不安に押しつぶされそうになっているんだろう?」と思いました。
現に私は今、新たなことに挑戦しようとしている最中です。
ですが、人生たいていのことは何とかなるし、何とかできると思います。
祖父は、私に「人生はケセラセラ」という言葉をかけてくれました。「ケセラセラ」とは、スペイン語で「なるようになるさ」という意味があります。
そして母は、「死ぬこと以外はかすり傷」と言葉をかけてくれました。
挑戦し、例え失敗してしまったとしても、私はそれは「失敗」ではなく「成長」だと思います。
仮に「失敗」と名付けたとしても、人生少しくらい失敗があった方が、振り返ってみた時に面白いんじゃないかな〜とも最近は思うようになりました。
これからも私は沢山の不安を抱えながら様々なことに挑戦していくと思いますが、この記事を読んだ皆さんも、どうか「不安」をコントロールし、何か新しい物事に「挑戦」してみてください!
それでは今回はこの辺で。またね〜☺︎

20代看護師。趣味は読書、カラオケ、旅行、寝ること☺︎
このブログでは、看護師の方や様々な方が、“自分らしく生きる”ことができるよう、私の人生や経験、思いを発信していきます。
【保有資格】
・看護師、保健師免許
・FP2級
・簿記3級
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